諸行無常、愛別離苦はこの世の定めで、わたしたち人間は、人間も含めた生ある物は、この世に生を受けた瞬間に必ず死を迎えることを背負います。
時の流れとともに、同じ人間一人の死に対する意識の変化から、葬式の儀礼の意義や意味を都合よく解釈し、葬式の簡略化、短縮化が進んでいます。
社会の変化で、儀式や慣習が変化することは仕方のないことですが、葬式の本来の意味だけは忘れてはなりません。
身近な人の死に立ち会うことは人生の中で数える程しかありません。そして生き物すべてがそうであるように私たち人間もだれであろうと必ず死を迎えることになります。
「死ぬこととは生きることなり」身近な人の死に臨んで考えるべきことは、たくさんありそうです。この向き合いこそが葬儀式の本来の意味でありましょう。
式は葬儀場にて行うことが多いですが、もとは寺の堂内や自宅で行うことが普通でした。専門の葬儀会社が、すべて葬儀や告別式の執行を担当するようになり、
一面まことに便利になりましたが、まず、第一にお寺にご連絡ご相談をいただければと思います。
圓應寺では、できる限りの精いっぱいのことを葬儀場でも、また本来の姿に戻りお寺で葬儀をすることもさせていただきます。
相談して安心して、故人への冥福とご回向を第一に考え、刻々迫る遺骸との別れを惜しんで、お念仏をお称え頂きながら心静かに落ちついて葬儀に臨んでいただきたいと思います。
このことがやがて読経のはじまる式場の厳粛に、心の通いをもつことになります。
葬儀式の中では新たに亡なられた方を極楽浄土に導くための「下炬引導」が最も大切な儀式です。引導とは文字通り、新亡を浄土に導くためのものです。
遺族、親族はこの「下炬引導」をみまもり葬儀式が終わります。おのずから称名念仏の手向けとなるでありましょう。
この引導を渡したあと焼香(告別)になります。告別式は焼香を中心に行なわれるようになり葬儀と告別式を同時に行なうことがほとんどになっています。
告別式が終わると出棺となり故人を荼毘に付します。(火葬すること)最近では、告別式後に初七日を先におこない、火葬へ出棺することが増えてきています。
また、火葬のほうが通夜や葬儀より先に行われ、遺骨を前に通夜や葬儀を行うこともあれば、葬儀社などは全く不要で近隣の人たちだけで行うこともあります。
出棺にあたっては、お釈迦さまがその父浄飯王の棺を自らかつがれたことや、わが国では聖徳太子が父君用明天皇の金棺をかつがれたということに起因し、血族直系の濃い者が棺をかつぐ習わしがうけつがれています。
大切なことは自ら棺をかつぐ心です。
この心が念仏をお称えしながら故人を送ることと通じます。
再び会うことのかなわない心の切なさも念仏申すことで、「どうか安楽国に往生してください」と願う心も、ただ念仏申すほかありません。葬儀は昔からお坊さまとともに大切な方を見送る人生最期の大切な儀式です。
故人が極楽に生まれ変われるよう願って「お念仏」にてお見送りしましょう。
「葬儀」に臨みまして、できる限りのご供養をさせていただきたいと考えております。「死」が身近でなくなった現代です。「わからない」ことの方が当たり前なのです。
ご不安なことなど、お寺までご相談をお待ちしております。