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浄土宗 照福山 顕光院 圓應寺 - 福岡 (円応寺・えんのうじ)

TEL. 092-761-1454

〒810-0074 福岡県福岡市中央区大手門3-1-7

仏壇のまつり方Buddhist Altar

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仏壇

お仏壇は家庭信仰の中心であります。信仰の本尊阿弥陀如来を中心に先祖代々の諸霊もお祀りしてあります。 明るい正しい和(なか)よいよろこびの生活は、朝夕の仏壇前のおつとめと、心をこめた仏壇のお守りからはじまります。 灯明をともし、花を立て、線香をあげ、浄水、献茶、その他供物をそなえる等、追善の誠をささげるようにいたしましょう。

仏壇のおき場所

仏壇には大きいのから小さいのまで種類が多く地方によっては仏間を設け、立派な仏壇を備えている家もあります。 しかし、いずれもいつでも家族と共に親しまれ、静かな勤行(おつとめ)のし易い、家の中心となる場所にお祀りすることが大切です。できれば、西側に仏壇を設置するのがいいでしょう。

新しく仏壇を求める方に

浄土宗の仏壇というきまった型はありませんが、余りけばけばしいのは遠慮して、質素でも真心のこもった清浄なものを求めることが肝心です。仏壇は家庭の中心となることを忘れないで下さい。
開眼式(新造し入魂供養)をご覧ください。

仏壇内部の本尊

本尊阿弥陀如来の像は、本来は立像ですが、座像でも構いません。後に舟型後光が付いています。木像でなくても画像、または「南無阿弥陀仏」の名号の掛軸でもよろしいのです。いずれも阿弥陀さまが本尊です。

弥陀三尊

如来の随身として、観音・勢至の両菩薩を本尊の両脇侍として(向かって右側に観音、左側に勢至)お祀りします。

両大師

もしくは浄土宗の高祖善導大師、宗祖法然上人の御掛軸又は御木像を、向かって右側に善導大師、左側に法然上人をお祀りします。
(仏壇の大きさに合わせて両方を祀ることもあります)

位牌

繰りお位牌と、個々のお位牌とがあります。安置する時、向かって右側が上座です。したがって、先祖代々のお位牌は右側、個々の新しい仏さまのお位牌は左側になります。

仏壇内部の道具

香炉、花立、燭台、茶器等、仏壇の大きさによりきまります。また、仏壇の手入れは両彼岸、盆、暮、先祖の命日には特に内部を浄めたいものです。

お守り

仏壇のお守りは形式や体裁より先ず真心です。毎朝、仏飯、茶湯、水はお初を供え、生花は枯さないようにとりかえ、また季節の初物や到来物は一度お供えしてから頂くように心がけます。特に朝夕のおつとめは一番大切です。

北野武氏 著/『超思考』より

『毎朝毎晩、仏壇を拝んでいる。なんて言ったら、怪訝な顔をする人がいるかもしれない。(省略)その昔は仏壇に毎朝水や供物をあげ、拝むのは人としてごく当たり前のことだった。(省略) 頂き物も学校の成績表も、まずは仏壇に供えることになっていた。人の家を訪ねたら仏壇に手を合わせ、その家のご先祖様に挨拶するのが礼儀だった。 仏壇を媒介にして、昔の日本人は死者と一緒に生きていたのだ。(省略)宗教というよりは習慣に近い。(中略)もちろん神様もいなければ、あの世も来世もない、人は死ねば無に帰るだけだ、そう考える人も多いはずだ。(省略) でもそういう無神論だけで生きていけるほど強い人間ばかりではない。自分にとって本当に大切な人を失った時に、そのこととどう折り合いをつけるか、自分にどうやって受け入れさせるか、あるいはその喪失感をいかにして乗り越えるか。 人によって様々だろうけど、自分の経験から言えば、やっぱりそこにはクッションが必要だった。人は死んだら無に帰るという考えだけでは乗り越えられなかった。 俺が毎朝毎晩仏壇に手を合わせるようになったのは、お袋が亡くなってからのことだ。(中略)世界は目に見えるものだけでできているわけではない。(省略) 彼らが本当にあの世から俺を見ていてくれているかどうかはわからない。(省略)ただ彼らへの感謝の気持ちだけは忘れたくない。死んだからといって絆まで断ち切られたとは思いたくない。だから俺は仏壇に手を合わせる。』


バナースペース


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