真言宗の開祖である弘法大師(空海)の作といわれ、護摩の灰で練った像である。像の裏面には空海の掌形が残っている。堂祠とともに空襲から奇跡的にも焼失を免れた。毎年七月七日に大祭が行われる。
天台宗の開祖である伝教大師(最澄)の一刀三礼(像を刻むとき一刀を入れるたびに三度礼拝)の彫刻とされる。この大黒天像も弁財天同様に焼失を免れた。
勇猛果敢を謳われた黒田二十四騎ほか家臣が祀られている。謙信流の使い手であり、築城の際には現代の耐震構造にも通ずると評価の高い石組みを築いたとされる野口左助一成やその父らが祀られている。また長政の使者として肥前名護屋城を訪ね、豊臣秀吉から兜を拝領した桐山丹波守の墓所には命日に黒田公の代参が記録されている。武士でありながら土地区画整理の名人といわれた久野四兵衛重勝は、戦乱で荒廃した博多の復興に奔走し、わずか二十日間で町割りの基礎を作るなどの功績を残し今も圓應寺に眠る。その他にも、白川城において百挺の鉄砲を駆使して明軍の南下を阻止した小河伝右衛門信章、黒田八虎にも数えられ槍術に優れた剛力の勇将として知られる、母里太兵衛友信や井上九郎右衛門之房、長政の弟のように育てられ、後に筆頭家老となった黒田三左衛門一成らを供養した。また黒田家当主ゆかりの夫人・息女のほか二十四騎の夫人・息女も数多く眠る。寺内の墓地には富禄武家の墓が多くある。
観音堂(空襲で焼失) 七陵の石面すべてに地蔵が刻まれている。
仏師安阿弥(快慶の号)の作といわれ、黒田如水の寄進と伝えられる。
古鐘で銘に「大日本西海路筑州堅粕村本堂薬王院再鋳洪鐘大檀那武衛将軍沙道鎮近江守平満家勧進沙弥宗通応永二十年癸巳四月十六日」とある。
文禄の役の際、徳川家康が出陣前に立ち寄った筑前遠賀郡馬場山の茶ノ原にて信譽存道上人(圓應寺住職四世宏譽上人の師僧)から十念を授かったことへの報恩に布施として与えた。
・東照大権現五字掛物 ……… 天海僧正筆
・巻軸選擇集要文 …………… 弁阿上人(浄土宗第二祖)筆
・六字名号 …………………… 紙地幡随和尚筆
・対月図 ……………………… 黒田長政公寄進 可翁筆
・善導大師金泥画幅像
・猿猴の図 …………………… 絹地狩野法眼永真筆
・信譽上人と家康の「十念授受の絵図」
・黒田如水の肖像 …………… 二代藩主・忠之公寄進
・黒田長政の肖像 …………… 二代藩主・忠之公寄進
・照福院殿の肖像 …………… 二代藩主・忠之公寄進
・四代・綱政の肖像 ………… 六代藩主・継高公寄進