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圓應寺とは…
圓應寺(円応寺、えんのうじ)は、福岡県福岡市中央区大手門にある浄土宗の寺院です。照福山顕光院圓應寺(しょうふくざんけんこういんえんのうじ)と号する、福岡藩主黒田家の菩提寺です。
- 正式名
- 照福山顕光院圓應寺
- 所在地
- 福岡県福岡市中央区大手門3丁目1-7
- 宗派
- 浄土宗
- 本尊
- 阿弥陀如来 あみだにょらい
- 創建年
- 1602年
- 開基
- 照福院殿然誉浩栄大尼公(光姫)
1600年(慶長5年)9月、黒田如水・長政父子の関ヶ原の合戦の軍功によって、黒田家は豊前中津十二万五千石から一挙に筑前五十二万三千石の太守にのしあがった。その後、筑前名島城を経て福岡城を築城。翌年、黒田如水の夫人・照福院殿は自ら福岡に一寺を開基して、黒田家の菩提寺としている。これが「顕光山圓應寺」すなわち現在の照福山顕光院圓應寺のはじまりとなる。
- 開山
- 天蓮社眞譽上人見道大和尚
天蓮社真誉見道上人は、播州赤穂の人、武門赤松氏の流れで播磨国出身の黒田家とは同郷である。如水の参謀の一人であったと伝えられる。また如水の実父(黒田職隆)を祀る心光寺においては第二世住持を務めた、播磨黒田家菩提寺とも深い縁のある僧侶である。1586年(天正15年)黒田如水が播磨国(兵庫県)姫路から豊前国(福岡・大分)中津に転封するとき、黒田家一族とともに中津に移住し、黒田家菩提寺・中津円応寺を開山した。他にも唐津教安寺・小倉円応寺を開山し、福岡圓應寺の開山として、小倉から招請されている。当時はこれらの開山した四か寺を束ねていた。 1612年(慶長17年)圓應寺において亡くなる。