本堂のご案内
ご自由にお参りできます。
建立当時は、屈指の威容を誇る黒田家菩提寺伽藍本堂で仏殿は東西十間半、南北九間半でした。
照福院殿没後の寛文七年(1667)、圓應寺六世・天譽玉産上人のとき、寺の仏殿と本堂を再興し、三代藩主・光之公に願い出て寺の後、海辺地の寄進を受け埋め立てました。
さらに、一〇代藩主・斉清公在世時にも、寺の敷地領域を海中に広げることを許されています。歴代の黒田家藩主たちが圓應寺建立の想いを継いでこられた、深い縁を感じさせてくれます。
江戸後期ごろの圓應寺は「この寺、方丈、庫裏、食堂も備わり、寺境広し」(福岡区地誌)とあり、黒田家との由緒をもった寺院の風格を備えていることがうかがえます。
昭和20年6月19日(1945) 福岡大空襲の戦火により本堂伽藍と快慶作の阿弥陀如来をはじめとする寺宝は灰燼となり、脇に祀られていた如水公と照福院殿の墓は崩れ落ち礫となりました。
1979年(昭和54年) 現在の本堂、納骨堂等の伽藍の建立を致しました。
ご本尊は阿彌陀如来立像(戒門堂仏師・梅津光潮 師)です。観世音菩薩と大勢至菩薩を脇侍に『阿弥陀三尊』をお祀りしています。戦後の作です。
その両脇に善導大師・法然上人、そのさらに両脇には開基光姫さま、開山眞譽見道上人をはじめとするお位牌をお祀りしています。